大金容子のミッション・ステイトメント
私と出会う全ての人の成長と共生、そして自己肯定をサポートすることが私のミッションです。
このミッションを達成するために、私は次の3つのことを決心します。
- 私と出会う全ての人が、仲間と共に成長することを通して、社会活動と家庭生活に幸せの連鎖を起こすことをサポートします。
- 私と出会う全ての人が、豊かな人間関係を育むことを通して、笑顔と思いやりに溢れた毎日が過ごせるようになることをサポートします。
- 私と出会う全ての人が、高い自己肯定感を持つことを通して、次の世代が夢と希望を持てるようになることをサポートします。
ミッションを達成するための3つの決心を実現するために、私は Rum’s Salon を組織します。
大金容子のモットー
“外の声に学び、内なる声に耳を傾けよ”
Rum’s Salon に繋がる大金容子の社会活動
歯科衛生士の卒後研修やスタディグループへの参加の契機
1984年に歯科衛生士の資格を得たのち歯科医院に勤務しました。
私が娘を授かったのは1992年。ひとりで育てる決心をしたのは1995年の夏。卒後研修やスタディグループに参加するようになったのはちょうどそのころでした。ひとりで子育てをするためには、自分の知識を常にバージョンアップし、技術を高め、ギャラを上げなければなりません。研修や勉強会への参加は、その手段に過ぎませんでした。
1998年、勤務していた歯科医院の先生に紹介されてエルバのセミナーを受講し、岡本浩先生、竹内泰子先生、Jan Lindhe先生と出会いました。ここで、歯周病を原理的に学び、ケアの基礎を繰り返しトレーニングする機会を得ました。
研修や勉強会に参加することで、私はステージを一つ上がっていることに気がつきました。歯周病を原理的に学び、ケアの基礎を繰り返しトレーニングすることで、知識に裏付けされたケアの経験が積み上がり、自分への自信を手にすることができたのです。
2000年からは、縁あってエルバのセミナーでインストラクターを務めることになりました。インストラクターの経験は基礎を繰り返して学ぶ契機となり、歯科関連論文にも目を通すことでLindhe先生や岡本先生、竹内先生の揺るぎなさと基礎の重要性に改めて気づくことができました。人前で話す機会をいただいて、これまで以上に「歯科のこと、患者さんのことをもっと深く知りたい」と思うようになってきました。
Rum’s Salon 立ち上げのころ
Rum’s Salon は1999年に立ち上げました。研修や勉強会で知り合った歯科衛生士数人と、シーズンごとに1回、はじめのころはお店で、2000年からは自宅で、日頃の情報交換や自己研鑽を誓いながら、美味しいものを食べて飲むといったものでした。
そうしたなかで、街の小さな歯科医院で働く歯科衛生士が、みな同じ悩みや不安を抱えていることがわかってきました-「自分が患者さんにやっていることは間違っていないか。もっとよい方法があるのではないか」「ほかの歯科衛生士やべつの歯科医院ではどんなことをやっているのか。どんな悩みを抱えているのか」。
こうした悩みや不安は、簡単には解消されません。しかし、経験年数や勤務先を超えて働く歯科衛生士が集まって意見交換することが、自分の仕事を見つめ直すよい機会となり、自分の仕事に自信がもてる〝何か〟を掴める場となっていることがわかってきました。
私自身の人懐っこいキャラクターも功を奏したか、気づいたら「うちのスタッフを連れてきてもいい?」という声があがるようになり、新しいメンバーも増えて Rum’s Salon は10年を向かえることになりました。
10年目を迎えた Rum’s Salon
Rum’s Salonが10年を迎えたころ、専門的知見で新たな取り組みをされている歯科衛生士や歯科医師の知り合いが増えてきました。そうした方々とお付き合いする中で、「もっと深く歯科のこと、診療に役立つことを知りたい」というニーズが強くなってきました。口腔内に留まらない、患者さんの生活や心の変化まで視野に入れた勉強が必要だと、私自身、思っていました。
歯科衛生士を長く続けてくると、10年以上メンテナンスを担当させていただける患者さんが出てきます。ご自身の昇進や転職、そして退職。息子さんの受験や娘さんの結婚、お孫さんの話。人生の転換点で直面する悩みや不安。メンテナンスのなかで交わされる患者さんの暮らしと心の変化は、口腔状態と繋がっています。仕事や家庭に不安があるときに、セルフメンテナンスが上手くいかないのは想像に難くありません。
歯科衛生士の研修や勉強会、インストラクターの経験で得たものは「基礎を守ることの大切さと難しさ」と言えるかもしれません。基礎こそが、常に最新の情報を入れながら、繰り返し見直しを重ねなければならない知識であり、技術なのです。それと同様に、患者さんとのコミュニケーションから分かる暮らしと心の変化もまた、長くメンテナンスをする中では大切にすべきことなのです。そのためには、患者さんの話を聴くことが不可欠です。ときには、歯科衛生士としての手を止めて、患者さんの話を最後まで聴くことが大切なのだということを、私は患者さんから教わりました。
研修や勉強会で知り合った歯科衛生士や先生を Rum’s Salon にお招きして、皆で学ぶ機会を主宰するようになったのは2010年からでした。大学で臨床研究を重ねている先生、各地で独自の診療を試みる先生、専門テーマをもって臨床に就いたりスタディグループを組織する歯科衛生士、ときには高齢社会と地域包括ケアの研究をする社会学者など、多彩な講師をお招きしてミニレクチャーを開催しました。こうして Rum’s Salon のスタイルのひとつに「研修+情報交換(と飲み会)」が加わったのです。
Rum’s Salon 20周年を超えて ~これからのRum’s Salon~
1984年に歯科衛生士となった大金容子は、2019年にキャリア35年目となり、Rum’s Salon は20周年を迎えることができました。これもひとえに、私を導いてくださった皆様のおかげと感謝しております。これからも、自分の眼が見える限り、手が動く限り、微力ながらも歯科の世界に貢献させていただけないかと思っています。
私は、歯科臨床が目指す目的は「患者さん一人ひとりのQOLを上げること」だと考えています。その目的のために、患者さんを含めたチーム医療・チームケアが不可欠であると考えています。
医療の世界では「健康の社会的決定要因(Social Determinants of Health: SDH)」が言われています。公衆衛生や医療によって寿命が伸び、重大な疾患の予後も改善された一方で、健康格差と言われる問題は拡大する一方です。所得が低い高齢者ほど、無歯顎のリスクが高いことはよく知られたことです。子ども期に歯みがきが十分にできていない人は、成人になっても口腔の清掃状態が悪いこともわかっています。口腔だけではなく、その人の生活や社会環境に目を向けるためには、歯科衛生士ひとりの力では難しいと言わざるを得ません。患者さんを含めたチーム医療・チームケアを推進することが大切です。
しかし、歯科臨床の世界では、目的達成に向けた役割の違い(医師、歯科衛生士、歯科助手、技工士、受付など)やアプローチの違い(方法論の相違、技術の相違など)で対立する場面も少なくありません。専門性という観点からは、それぞれに違いがあっても構いません(むしろ違いがある方が多面的で良いかもしれません)が、目の前の患者さんのQOLの向上という目的達成のためには、お互いの違いを承認した上でチームを組むことが不可欠です。
私は今、それぞれの歯科医院を単位として、多様なスタッフが目的に向かってチームを組む「チーム・ビルディング」の可能性を探っています。Rum’s Salon では、チームビルディングを視野に入れた企画に取り組んでいます。
大金容子とインナー・ユニバース(inner universe of spirit/内なる精神世界)の関係史
インナー・ユニバースの体験
私は、子どものころから自分の存在を根源的に問い続ける傾向がありました。多くの子どもがそういう時期を経由するのかもしれませんが、「自分はどこから来て、どこに行くのか」「いまここにいる自分は“本当の自分”なのか」「こんなことを他の人も考えているのか」ということをいつも考えていました。だからかどうかわかりませんが、私が小学校高学年の頃(1970年代)に流行った“ノストラダムスの大予言”も大好きでした。
私が「インナー・ユニバース」と表現する“スピリチュアル”や“精神世界”の体験に繋がる経路が開かれたのは、1993年ごろ、ママ友のひとりからダリル・アンカの「バシャール」を紹介されたことです。バシャール自体はあまり理解できなかったのですが、これが契機となって、インナー・ユニバースを体験できる場に参加するようになりました。1995年には、吉祥寺でヒプノセラピーを受けて「インナー・チャイルド・ワーク」や「前世療法」を体験しました。インナー・チャイルド・ワークでは、初めて“宇宙に行った”といえる体感を得ました。
1996年からはアロマテラピーの勉強を始めるようになり、東京九段下にあった「ハーバート・ハウス」で栗﨑小太郎先生から直接講習を受けました。日本アロマテラピー協会(当時)を設立した栗﨑先生は、日本にアロマテラピーを持ち込んだ第一人者で、ハーバートハウスには1997~98年の2年間通って、初級・上級・専科・特別クラスを修了しました。1998年から銀座アロマテラピースクールで鳥居鎮夫先生のアロマテラピー講座(基礎科、応用科)で学びました。アロマテラピーの知識は、現在でも患者さんのマインドコントロールを視野に入れた歯科医院の環境づくりに活かされています。
Access Bars(アクセス・バーズ)との出会い
2016年ごろ、日本でも紹介されるようになった Access Bars に出会いました。1990年代にGray Douglas によって広められた、頭部32ヶ所にある「アクセス・ポイント」に軽く触れながら、ストレスコントロールを行う施術が Access Bars です。日本の歯科でも注目している人が多くいらっしゃいます。
私自身は、2020年から Rum’s Salon のメンバー数人と共に Access Bars を学び始めました。
2020年8月、日本橋のシェアスペースYURIKAGOで、安藤順子さんをファシリテーターとする1日講習を初めて受講しました。誰も知らない6人で講習を受けましたが、25年前に吉祥寺で体験した“宇宙に行った”といえる体感の再来がありました。実際には、目を瞑り、静かに施術を受けているだけだったのですが、身体が宇宙空間に浮かんでいる感じがしていました。施術中の半分は意識がない感じで、多分寝ていたのだと思います。しかし、昔の体感が蘇ってくるような体験を得ることになりました。初めての Access Bars の体験は、何よりも頭がすっきりする感じがしたこと、施術を終えたらとても気持ちがよかったことを覚えています。
初回の体験で Access Bars に魅せられてしまい、早くファシリテーターの資格が欲しいと思うようになりました。Access Bars のファシリテーターになるためには、最低3人の異なるファシリテーターの講習を受けることが義務付けられています。初回から2週間後には、二人目となる「こころほぐしサロンturusan」の鶴岡白眉さんの講習を受けていました。間をおかず三人目となる「ユウキの実」の佑紀友那さんの講習を受けて、2020年9月20日、初回講習を受けてから1ヶ月半後に、Access Bars のファシリテーター資格を得ました。ファシリテーターとは言ってもまだ何もわかっていない私です。不安も手伝って、どうしても会いたいと思っていた「UP TO YOU」のnanaさんから四人目となる講習を受けていました。
Access Bars の「ギフレシ(gift & receive)会」の開催
Access Bars には、講習を受けたもののみが参加できる「ギフレシ会」が各地で開催されています。Access Bars の経験を高めるためにもそこに参加したいと思っていましたが、まだ参加する勇気がなく、情報を検索して眺めるのみでした。
そんな私の背中を押してくれたのが、America・ArizonaのSedonaに暮らすSHIA(シャイア)さんでした。2021年1月1日にZoomセッションを受けて、SHIAさんから「Rumさんはもう“できる”! いろんな人を見なさい」という声をかけてもらいました。この声かけを契機に、私は自分のFacebookにわかりやすく「スピリチュアルを始めました」と書いてみました。なかには「えっ…そうなの?」という声もありましたが、この書き込みをきっかけに「私も興味があるんだけど…」と声をかけてくれる人が出てきました。
初めてのギフレシ会への参加は、2021年1月16日、近くの元麻布で開催されたものに参加しました。これに参加できて、初めてギフレシ会の運営方法がわかり、どうすれば開催できるかもわかりました。なによりも主宰者のおもてなしで、小さなお部屋が居心地良い空間となっていたことから、「私にもできるかもしれない」という想いが出てきました。
1月24日には、初めて白金の自宅でギフレシ会を開催しました。Facebookで呼びかけて3名募集しましたが、1日で予約は埋まってしまいました。その後は、定期的に他の人のギフレシ会に参加しながら、私自身も月1回のペースでギフレシ会を開催するようになりました。毎回Facebookで呼びかけて、数日で予約は埋まっています。ときには、10時開催13時終了、14時開催17時終了というダブルヘッダーでも開催しています。3月からは「泡酒を飲みながら」のギフレシ会も(たまにですが)開催しています。11時開催、あいだに泡酒ランチを挟んで、15時終了というものです。
インナー・ユニバースを学ぶこと
“スピリチュアル” や “精神世界” と言われるものに近いのですが、私はこれを「インナー・ユニバース」と表現したいと思います。高齢社会の到来と共に“死”を正面から引き受けねばならない事態が日常化していますが、私たちは死を語る場を作ることに失敗しています。WHOでは、健康の定義のなかで「spiritual」を含めることが検討されたのですが、正式な採択は見送られました。ようやく医療社会学のなかで「死生学」が立ち上げられ、終末期のリビングウィル、死やspiritualが取り上げられるようになってきました。
私は、こうした一連の流れを踏まえながら、“スピリチュアル”や“精神世界”を含みながらも、より大きな枠組みの中でこれらを考えるために「インナー・ユニバース」という言葉をあてることにしました。
先に紹介したSHIAさんの言葉をきっかけに「スピリチュアルを始めました」と書いたことはすでにお話ししたところです。このとき「インナー・ユニバース」の言葉はまだ使っていませんでしたが、すぐに6人の方が連絡をくださり、スピリチュアル・コーチングを受けてくれました。
- 自分がやりたかった仕事への転職に踏み切ることができました。
- 「こうしなさい」ではなく「選択はあくまでもあなたが決めること」という空間が心地よかった。自分の考えを後押ししてくれる感じがよかった。
- ビリビリくるというより、温かい感じがした。
- 役割のフィルターを通して考えることから自由になることができて、良くなった。
- 自分が思っていることをやっていいのだと、後押ししてもらった。
これらは、そのときいただけたみなさんの声の一部です。
この間、Access Bars の講習も5人の方に行わせていただきました。
私が「インナー・ユニバース」で行いたいことは、一人ひとりのまだ声にならない声に耳を傾けることです。
科学の世界は、エビデンスを元に合理的かつ最良の方法を決めて、私たちの行動指針を示す世界観です。私たちの日常は、科学の世界観だけで成立するものでないことは明らかです。しかし、科学の世界観が優勢の社会のなかでは、〝それでは解き明かせない世界があること〟さえ、語ることが憚られます。私たちの日常の、もう一つの世界を感じ、声にならない声に耳を傾けることが、これからの私たちを豊かにしてくれるのではないかと思っています。
歯科衛生士の仕事とインナー・ユニバースのつながり
歯科衛生士を30年以上続けてくると、10年以上メンテナンスを担当させていただける患者さんが出てきます。長く関わることで、仕事のこと、お子さんのこと、お孫さんのことなど、時間をかけてゆっくりと変化する「その人の人生」に気づく契機に出逢います。
長く関わってきた患者さんは、次第に「私のこと/私の人生」を聴いてほしいと思うようになります。歯科医院が、病気や健康といった、人の生の根源を扱っているからかもしれません。考えてみれば、ふつうの病院は病気が治れば通うことが少ないですから、メンテナンスを担える歯科医院は特別な存在なのかもしれません。身体の不調に自分自身で気づきながら、それに繋がる不安や悩みを語りたいと思うのかもしれません。
しかし、患者さんの話をきちんと聴くことができる歯科医師や歯科衛生士はことのほか少ないのです。一日に対応しなければならない患者数が多く、保険医療の制約から十分な時間をとることができない、スタッフの数も限られていて、患者さんの話を聞くことが許される体制にはないのかもしれません。
「患者さんの話を聴く」ことは、その人のこれまでの人生を尊重しながら、内なる声に、まだ声にならない声に耳を傾けることではないでしょうか。こうした患者さんの内なる声には、本人も気づけていないものが多くあります。
そうした声にたどり着くことができると、患者さんの悩みや不安の根源に触れることも少なくありません。そんなとき、急に“わっ”と患者さんが語り始めることもあり、その声に触れた私自身ももらい泣きしてしまうことがよくあります。「患者さんの話を聴く」という行為の向こう側には、こうした瞬間が必ずあります。
私は、理論に支えられた方法をもとに歯科衛生士としての活動を進めながらも、患者さんの内なる声、まだ声にならざる声、そう「インナー・ユニバース」に耳を傾けることを、2022年、歯科衛生士として38年目を迎えた大金容子のモットーにしたいと考えています。患者さんに「今日は、大金さんとお話しするために来ました」と言っていただけるのは、今の私にとって、何にも代え難いことなのです。